香田さん殺害映像

とてもショックだ。何を書いていいものかわからない。ひょんな事から、あの、イラク人質事件の香田さん殺害映像を見てしまった。まったく予期せぬ突然の映像だったため、今でも動揺がおさまらない。インターネットで検索してみると、どうも、少し前からインターネットで、この映像が流出されたらしい。音なしでも十分恐ろしい。生きた人をあんなに無造作に、家畜のごとく殺せるものなのか。あれがどうして、神の教えに沿った行動なのか。恐ろしさと怒りと悲しみが私の体で混ざり、おかしくなりそうだ。人が殺される映像を私は今まで、フィクションでしかみたことがない。殺されたあとの映像や写真なら何度かあるが、まったく次元が違った。
心を整理するために、もう少し文字にしてみる。
どうして、彼らは香田さん達を殺したのだろうか?彼らにとっては、それが正義なのだろう。オウムと同じといっては、語弊が有るかもしれないが、私には区別がつかない。人が人を殺すのは、そう簡単なことじゃない(と私は信じている)。彼らの正義がどうのとかいうつもりもない、まして、私には理解できないだろうから。私は、この映像を見るまで、同じ殺人でも凶器によって多少の区別をしていた。殺す感覚がとぼしい殺人と、リアルな殺人は結果が同じであっても、殺害への行動を起こすために必要とするエネルギーが違うと思っていたからだ。つまり、ナイフでの殺人とピストルでの殺人には違いがあると考えていた。凶器が毒殺やピストルといった、自ら命を奪う感覚が無くても殺せる方法が増えたから、殺人犯罪が増えるのだと。どうも、そんな簡単なものでは無いようだ。今日見た映像は、ナイフが凶器だ。それも、いとも簡単に事を起こしているように見えた。正義の前では、私が考えていたことなど、まったく関係が無かった。しかし、どんな信念があったとしても、どんな正義を振りかざしても、人が人を殺すことは、あってはならない。許さない!これが人類共通の正義であれば、殺人は起こらない。残念ながら、これが成立しないことは法律があることからも、明白だ。正義いぜんに、人であるために作られた法律は、正義の前では無力になってしまう。自分で矛盾を作り出す唯一の生物。人類。なんとも哀れである。
最後に、この映像は遺族の人の目に触れないことを祈る。