親父との別れ

69歳で痴呆症と診断され、自宅で過ごしていたが薬が合わず車を破壊し家族に暴力をふるいだしたことをきっかけに、こころのホスピタル(精神科)に入院する。
これが闘病生活の始まりだった。2018年のこと、初めて介護という問題に直面する。家での介護に限界をきたしてのことだった。
精神科から退院後、ケアマネージャーさんに探してもらい近くの特別養護老人ホームへ移る。そこでしばらく過ごしたのだが、症状が良くなることはなかった。
そして、暴力が出始め、再び精神科病院に入院したのが昨年のことだった。
今年に入ってから、3月に精神科病院を退院、特別養護老人ホームにいったん戻るも、暴力をふるったとのことで、播磨サナトリウムへ転院。
そこで、誤飲性肺炎となり、はりま姫路総合医療センターに2週間入院をしたのち、播磨サナトリウムへ戻り、最後を迎えることになった。
そして、4月26日(水)9:11に永眠。
4月27日(木)に通夜、28日(金)に葬儀を行った。
最後は、入退院を繰り返したことは、本人にとっては本意ではなかったことだろう。
最後を家で迎えたかったことだろう。そんな事はわかっていたが、叶えてやることはできなかった。
人生の最後だというのにだ。
人はいつかは死ぬ。だけど、死に場所を選べる人はどれだけいるのだろうか?
父とは面と向かって話し合ったという記憶がない。あまり自分の欲望を語る人でもなかったので、父のことを正直よく知らない。
ただ、最後に数年の闘病生活が本意ではないことはわかる。
特別養護老人ホームに面会に行った時の言葉が忘れられない。「俺が変わってしまったんやなー。」
病気とは恐ろしい。変わりたくなかいのに、自分の意志とは関係なく人を変えてしまう。
そして死を迎える。
死は自分の意志に従ったのか反してのことなのか?
最後は、自分で死を受け入れたのかもしれないが、その答えはいくら考えてもわからない。
父の骸骨のごとくやせ細った表情からも答えはわからなかった。
悲しさ、寂しさ、後悔、安堵、複雑な気持ちが今の私を形成している。
親父が人生でなしえたこと。5人の子供を育て上げたこと。
この偉業は誰のものでもなく、彼の功績であり、その子供たちは幸せに過ごしている。
この事実は親父に伝えてやりたい。今となっては彼に耳は無い。
天に向かって祈ることしができないのだが、天国で幸せな子供や孫たちの姿を見てくれていると嬉しい。
ありがとう。親父!そして、またいつか会いましょう!その時、面と向かっていろんな話ができることを楽しみにしています。